学校のしんどさを知っている、だからこそ

「がっこうのせんせい」をやってる。この私が。




教科指導のみの非常勤なので、担任や校務をもつ本採用の先生方とはもちろん仕事のウエイトが全然違う。自分の授業のことだけ考えていればよいし、時間の許す限り存分に授業準備ができる。生徒指導上などで困りごとがあれば担任・管理職に引き継ぐだけである。ずいぶん気楽な身分だ(そしてこの上なく不安定だ)。


それはそうだとして、この私が、である。


私にとって学校は、たくさんの針が自分に向けられていて身動きのたびに刺してくるような、絶望とともにある場所だった。
友人はいたし、虐めにあったわけでもないし、欠席も少なくふつうに通っていたけれども、集団生活における毎日の小さなチクチクにひとつずつ傷つき、疲弊していた。
吐き気をこらえながら登校する朝、通りすがりの家の庭で花壇に水やりなどをしている人(おおむね年配の)を見るたび、はやく大人になって学校に行かなくてもよくなりたい、とすがるような気持ちになったものだ。




まあ、紆余曲折あって(最低のまとめ方・・・)、こうなっている。
人生isおもしろすぎる。


ともあれ、いまは学校で授業をするのが仕事なのでただただ仕事をしているのであるが、「学校大好き畑」の出身ではない人間としてのアプローチ、もあることよなあと思う日々につき。
いくつか、意識して実践している習慣を記しておく。大したことではない。

 

 

 

名前を呼ぶときは、苗字+さん・くん で統一

ニックネームや呼び捨ては、全員にそうするのならまだしも、そうする生徒とそうしない生徒がいてはいけない。「あの子は渾名で呼ばれているのにわたしは・・・」という感情は、信頼の破壊、終わりの始まりだ。

 

ペアやグループでの話し合いは必要最小限に

「主体的・対話的な学び」をかかげる国のこと、教師の一方的な講義はたいへん忌み嫌われる。(注:生徒からではなく、大人から)
よって、何かと子ども同士で話し合わせる。もうすっかり当たり前の光景になりつつあるが、私が子どものころにこれが流行っていなくて本当に良かった。絶対に、間違いなく、地獄の時間だ。
会話の型や予備知識もあいまいなまま顔を突き合わせても、暗闇のなかで立ち尽くす羽目になる。ひりひりした人間関係の地肌が見える。
もちろん、だから避けていいということではないし、その経験も通っていくべきだし、それが有効な場面もある。という意味での「必要最小限」だ。やるけれど、乱発はしない。
私はだいたい1単元につき1回くらい。(実技教科で個人活動がメインであるため)
うまく交流ができなかった班へのフォローになる話を全体に向けてする。

 

発表は挙手制ではなく、指名制

意見を募りたいとき、「誰かー?」と促すと、手を挙げるメンツはだいたい固定される。いつも、その何人かの意見で授業が進み、それ以外の生徒は「お客さん」になる。大変よくない。
手軽なのは、「列指名」。縦に1列を無作為に指定し、前から順にひとつずつ発表する。人によって見方が異なるような発問のときに有効だ。たった5、6人でも驚くほど多彩な意見が出る。
もうひとつは、ちょっとスレスレの方法。個人思考の段階で満遍なく机間巡視し、発表してほしい意見を見つけたら、「あなたに発表してほしい!」という意志をひっそり伝える(無言で、フセンやシールを貼るなど)。そうすると、普段あまり前に出ない性格の生徒も「仕方ないな・・・」という感じで発表してくれる。ただし、教師側の無意識な選別が働くため、想定外の意見をはじいてしまいやすく注意が必要である。
とまれ、「誰でも発表者になりうる」ということで、授業への当事者意識を持ちやすくなっていればいいなあ、と思っている。

 

忘れ物をしたら、貸し出す

大人でもふつうに忘れ物くらいするのに、なぜ学校というところはあんなに忘れ物に厳しいんだろう。忘れた回数をカウントしたり、活動に参加させなかったり、なにかと「ペナルティ」に走ろうとする。
貸せるものはできるだけ貸すようにしている。あまりにも続くようなら、貸すまえに目をみて話をし、忘れないための手立てを本人に申告させる。
失敗をしたときにどうやってリカバリーするか。社会を生き抜く力というのは、ほとんどそれにあたるのではないか?
学校でなら、いくら失敗してもいい、すべて人生の練習だから。とたびたび話す。練習は自信につながる。卒業したあとの長い人間生活を、少しでも楽に生きてほしいから。



そうだそうだ、大事なこと。私、「子ども」は別に一切まったく好きではない。どう接していいかいまだに全然わからない。
仕事なので、話す、関わる。それだけのこと。
気をつけているのは、子どもだからといって見下さないこと。対等な人間の相手として尊重すること。これだけのこと。
接し方についてはもはや「慣れ」のみで乗り切っている。人は、慣れるものである。
毎度毎度バタバタと準備をし、なんとか授業を形にし、気がついたらもう8年目になっている。
寿命削ってんなと思いながらも、結局全部楽しいから、辞めていない。自分のできることで社会の役に立てる方法が、これしか思いつかなかったから、やっている。
きっと、このままずっとやるんだろうなと思う。学校嫌いだった自分が学校でつぎの子どもたちと学校生活をやっていること、とっても不思議だけど、だからこその尊さを毎瞬間感じながら。
来週も、授業をします。