8月6日のにっき

外の世界にはいろいろがあって、コトやモノの坩堝でぐるぐる疲弊する。這々の体でひとりの家に帰り着いてすることといえば、最近はすぐに本をひらいている。昼間の熱気が残るエアコンつけたての部屋で、ベタベタの身体のままで。ほんとうはお腹が空いているし一刻も早くシャワーを浴びたい。でもいまこのカラカラの頭にブチ込みたいのは美しく整頓された文字の羅列である、という訳のわからない欲求に突き動かされ、なにひとつ整わない生活の真ん中でずっと文章を読んでいる。テレビはうるさいから嫌い。音楽やラジオなら許容できる場合もあるが、脳内で響く言葉が勝つ時のほうが多くてすぐに消してしまう。こんなだからいま現在おきているものごとに気がつかない。天気予報はひとに聞いて知る。しょっちゅう洗濯物を濡らしている。


夏の空気だ。むっと息が詰まるような日々の続きに、8月の6日目はある。


色と光と熱と、水と、ひとの息づかいがひしめく街の中心部。かつてなくなった場所の上に立った。煙の送り方と、音の鳴らし方を教えてもらった。思うだけじゃなくて行動で示す方法があるのだと知った。他人は、自分の知らないことを知っているものだなあと阿呆みたいに考えた。


会って、関わってすれ違ってさようならするたくさんの、大きい人や小さい人のことを思う。
全員が絶え間なく幸福であればいいのにと思う。悲しむ可能性なんて考えたくない。
私がちょっと話したからといってなんの影響もあるわけないという大前提のもと、
私がちょっと話したひとたちは絶対的に救われているべきだと願っている。


いま読んでいるのは「重力の虹」と「オウエンのために祈りを」と「すべての、白いものたちの」とあと色々。
朗読をやってみたくて、いい感じの文章があったら少し声に出してみたりしている。こういうのって歌とおなじで、発音とか緩急とかのトレーニングが要るんだろうな。新しいことを研究するのはなんだって楽しい。

絵はずっといつも描いて、気持ちの良い線を探している。


圧倒的に8月だ。目を閉じて開けたら終わってしまう気がして走り続けている。今日は走って跳んでいたら転んで肘と膝が剥けて腫れた。そして888文字になった。