息をする、そのあと

息してるだけでえらい。



種々様々のつらさを、流し乗り切りやり過ごすためにこのような言い聞かせを自分や他人に向けておこなうことがあるが、それはそれとして、息してるだけの生活はやっぱりしんどいのである。

生活は、選択の集合体だ。何を食べ、何を読み、何を聴き、着、見、観、視。
仕事がつらいなら別に仕事をしなくてもよい。家事が苦手ならしなくても死なない。しかし、「何もしない」ということは存外に難しい。予定のない休日、縦になることができず15時間も20時間もベッドに横たわって目をとじたり開けたりしていた。この間、体は休息しているのに精神が荒れに荒れていた。こんなことでいいのか、時間を喰らうだけの有機体として地球に場所をとっているのは間違いではないのか、もう死んだほうがいいのでは……ゴホン。

何もしないと、しんどい。最初は楽でも、ずっとはしんどい。

息をする以外のことを、仕方なく選んで、おこなう。生活を、やる。


なにを、やったらいいんだ?



学業や労働等を除いた、「生活」の部分において「やるべきこと」は、ゼロである。
すべて、自分で選ぶことができる。

困った。なにをやったらいいんだ?
食べること。食事は快感だ。食物を口に入れているとき、幸福を感じる。自分が美味いと思うものを思うままに食べるのは楽しい。偏食で少食なのであまりたくさんのものは食べられないが、気ままな一人暮らしを武器に、好きなものを作ったり買ったりして、誰にも咎められず自由に食べている。
読むこと。読書が好きだ。主に小説。SFミステリ純文学なんでも雑食に読む。言葉からイメージを広げてフィクションの世界にのめりこむことは、なによりも私の心を癒す。物語の中には、知っているような人がいて、全然わからない人がいて、そしてまるで自分のような人もいる。拵えられた舞台で、おのおのの考えをもって、起こる出来事のなかで、息をして存在している。読むことは、そのさまを追体験する行為だ。自分の人生には発生しない(していない)出来事を、活字を追うことによって体験する。(これはもちろん漫画でも映画でも可能だが、たまたま私に合っているのが小説であるというだけ)
買うこと。まちに暮らしていると、歩いているだけで素敵なモノが目に付く。「あの服を着ている自分」「あのアイテムを持っている自分」を想像し、そうなりたいと思ったら買う。膨大に売られているモノの中で、不思議とピントが合う時。身の回りを、気に入るもので固めていく時。うきうきする。自分を愛せる気がする。


…総じて、「消費」行動である。
誰かがつくったものを、お金と引き換えに受け取る行為。
どうかすれば、これだけで人生の時間の大半を費やすことができる。ひと昔まえにくらべて、世の中の商品やコンテンツは格段に増えたし、アクセスのしやすさも抜群に良くなった。
きっと、生きることと消費することは限りなく同義で。


そうなんだけれど。
なにかどこか、埋められない穴がある。
ただ息をして消費するだけで、寿命を生き抜くことは可能なのに。
ここに穿ちたい。衝動。私の身体から発出するもの。無形有形。
でも、それをしようがしなかろうが、世界は変わらない。ひとびとは、なにもおもわない。

息してるだけでえらい。OK。人生はそれで終了できる。
なのに、私は、にんげんは、ものをつくろうとする。線を引く、色をかさねる、ひかりを演出する、文字をつづる。
ずっとそうやって生きて、生活をやって、あるときに死ぬ。誰にも見つけられなくても、そうでなければ生きられない、虚無のいきものだ。わたしたち。できてるものを費やすだけで、生きていけたらいいのにね。