年度半ばの所感

2026年度、ちょっとキツイです。

 

とくに大きく環境(ハード面)が変わったとかではないけれども、心情(ソフト面)のあちこちが地味にキツイ。


なんつって、年度はもう半分過ぎているわよ。いつのまにかここまで生き延びた。人間は慣れる生き物です。

 

GWにやった個展のこと、ここにきちんと振り返りを書きたい。でも長い文章を書く体力が足りない。


個展が終わってから、絵やものをかくことをサボりにサボっていて、とにかく仕事に精一杯で、明日か明後日の授業の準備をしてギリギリ寝るみたいな、ゴミカスの日々を重ねている。


それでも、学校に行ったら生徒たちがいて、彼らはそれぞれの生活と人生をみずみずしい身体と心で息をして生きていて、時折わたしを見て言葉を発してくれたり、わたしの伝えたいことを受け取ってくれたり、する。わたしの関係ないところでも、ものごとを見て聞いて考えて、その心を四方八方に伸ばし、成長していたり、する。
いつも、奇跡みたいだなと思う。こんな、生命の尊い真っ只中みたいなところに関わることができるなんて。
紆余曲折あってたどり着いた場所だけれども、なんにも間違いはなかった。
しあわせだなあ。
ありがたいなあ。

それはそれとして、絵やものをかくことをちゃんとやり、作品を発表し、かくひととしてのわたしを生かしてあげましょうね。
11月にとあるグループ展にお誘いいただいておりますが、参加作家さんがすごく多い&錚々たるメンツでビビり散らかしつつ。
なんか、もういっこ他になんか展示とかしたいな〜と、ぼちぼち探しています。

 

今日は髪を少し切りました。いつもの美容師さんに、安心しておまかせしています。
40代を迎えて代謝が落ち、お腹がポッコリしてきたので、筋トレをこころがけています。
本や映画の世界観にすぐ取り込まれてしまうので、仕事中や移動中でも脳がトリップしていることがあります。
自分のなにがどう変わっても、夜に眠って朝が来たらまた始まります。
明日もわたしがわたしでありますように。

出来事(ある日の朝から夜まで)(ということはこれは日記)

また寝てしまった。

や、夜だったのだから寝てよかったが、化粧も髪も服も昼間のままだった。
本当にこれを頻繁にやる。せめてタイツは脱いでいてほしかった。部屋が汚いから歩くたびにホコリを拾っているはずのタイツの足裏。最後の理性があったのか、微妙にベッドの端から足先をはみ出させていた。そんな小細工をやるくらいなら風呂に入ってほしい。枕も、化粧した顔をつけてしまった。まだマシな日は、意識を飛ばす前にタオルを敷く。そんな小細工を(略)

ひとりの家なので、こんなにやらかしても誰にもバレず、地獄からの使者みたいにズルリと起き出して粛々とシャワー。
出勤まで1時間半ほどあり、とりあえずお弁当を作ることにする。昨日は晩御飯もスキップして寝ていたので、軽くお腹に入れておきたい。冷凍ご飯のストックがあと1つ、これはお弁当に。冷蔵庫には、2日ほど前にやる気があったため買った卵が10個ギッシリ並んでいる。うんざりする。素早く、適切に消費すべきタスク。卵はタスクである。卵焼きにしてもせいぜい2個。
ふと、サンドイッチにしようと(したけどマーガリンを切らしてしまい死蔵している)食パンが冷凍庫にあるのが見えた。食パン。卵。あとはハムとチーズも奇跡的にある。これはなんとかなりそうだと、PCを開いてレシピ検索(料理がなんにも覚えられないので、どんな基本料理でも毎回検索してしまう)。フライパンでこれらをなにやらすればホットサンド的なものができるとのことで、やってみた。じゃっかん違う感じになったが、なにやらができたので、食べた。卵2。そして、弁当用にじゃかじゃかスクランブルして卵2。計4のタスクを消化した。偉業である。

洗濯機が満杯どころか入り切っていないので、急ぎでないものをいったん出し、とりあえずそのへんの床に置く(ほんとうに最低、誰にも見られてないからって)。朝食・弁当作りのあいだに回し、終わったので干す。寒い。洗濯物を干し終わるといつも自分のことを天才だと思うようにしている。

食器洗いはできないまま、出勤。
仕事をし、疲れる。
通常よりは早めの退勤で助かる。

給料日前だし、家にあるもので晩御飯にするべきだなと思いつつほてほて帰る。が、道中のやよい軒にどうしても心がひっかかる。通過しながら考える。ひとりの家なので、勝手に何を食べて帰ってもかまわないのだ。なんたって疲れている。小さないろいろがあり、大きなダメージを感じている。唐揚げが食べたい。ので、引き返し、入店した。

入り口を見ると、ドアが壊れており勢いよく閉まってしまうので気をつけてほしい旨と、閉まる際に大きな音がするので食事中にお騒がせする旨、が貼り紙として書かれてあった。ので、音がしないようゆっくりとドアを閉めた。
しかし、唐揚げ定食とレモンサワーを堪能しているあいだ、人が出入りするたび、ドアはバタンバタンと激しく鳴った。店ごと揺れるような重い響きが何度も鳴った。みんな、貼り紙の文字、読まないんだなあと思った。そういえば、私はドアを開けながら、あのA4の貼り紙の内容を2秒くらいで読んだ気がする。文字が小さめだったし、3段落くらいあって、なるほどなかなかあれをパッと読み切るのは難しいかもしれない。私はわりと常に目が文字を探してしまい、移動しながらでも看板やらポスターやらをずっと読んでいる。だからあの貼り紙もスッと目に入ったのだなと思った。人の習慣はそれぞれで、みんなに正しく情報を伝えるのは本当に、大変。それは日々、集団に向けてものを伝える仕事をしていて感じることだ。はやくあのドア直ってほしい(店員さんはずっとバタンバタンを聞いていてつらいだろうと思う)。

唐揚げ定食、スルッと食べ切れた。年齢とともに食べられる量が減る一方で外食が難しいが、ストレスは最高の調味料(最悪の提言。もちろん最高に美味しかったです。アツアツサクサクの唐揚げとたっぷりの野菜。お味噌汁が優しくて嬉しいです。セルフのお漬物がいつも大好きです)

満腹で帰ったら朝の洗い物にお出迎えされたが、まだいつもより早めである。いったん椅子に座って手近にあった本を数ページ読んで頭の休憩。そして眠くなる前にエイヤとまた出かける。昼間の荷物を減らして軽いカバンで。
すぐ近くに小規模なショッピングモールがあり、なんと書店も入っている(しかも元バイト先の支店。引っ越してきた頃は、「ここをキャンプ地とするッッ(元ネタは知らない)」くらいに思っていたが、とはいえなかなか行けない日々でもある)。
文芸雑誌「GOAT(2026Winter)」が買いたくて、この書店にいそいそとゆく。最近は文具や雑貨に侵食されつつある(事情は理解する)が、しっかりと本も雑誌も売ってくれている。「GOAT」もきちんと平積みであった。ゆっきゅんの日記が載っていると聞いて買い求めたが、この「GOAT」なんと税込510(ゴート)円である。それでいてものすごい厚さと内容。文庫ですら1000円超えが珍しくない昨今に、ありがたい。この価格にすることもコンセプトとしてあると思うが、まずはありがたく文字の海にざぶんと行きたい。

あとは、1階の食品売り場でカード会員無料の水を2リットルいただく。日中に持ち歩く水分は主にこの水だ。が、指定のペットボトルを持って汲みに行くのがなかなかのハードルで、切らしてしまうと結局コンビニで買ったりする。ていねいな暮らし、途切れ途切れである。

 

キッチンには洗ってない食器と弁当箱、フライパンがある。洗濯物も冷たくベランダに居る。
今日こそは風呂に入ってから寝よう。

 

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自分は「日記」を書くのが苦手だなと感じていた。思ったことは書けても、出来事が書けない。でも、あえてとある日の朝から夜までの出来事をつらねてみた。視点とか時制とかが定まらなくて、読みにくい感じになったかもしれないが、文章は、楽しい、怖い。書いたらもっと書きたくて、暴走する指先を止める。
先日見た映画「落下の王国」が良すぎて、感想を書きたくてブログを開いた。でも好きすぎてうまく書けなくて、ちょっと指慣らしに日記でも書こうとしたらこんなに書いてしまった。

世界に色があるから

ちょっとした展示の機会があるので久しぶりに絵の具で絵をかいたらぜんぜんうまくかけなくてビックリしたけどビックリする必要なんてなかった。私は絵が下手なんだった。

 

肌の色がわからない どこが明るくてどこが暗くなるかわからない 手前と奥の差がつけられない 面が感じられない たくさん色がのってる方が好きだけどへんなきたない色ばかりになる 新しくチューブから出すのがおっくうで既にパレットにある色だけでなんとかしようとしてる 筆を洗わず次に進むからどんどん濁る

 

絵の具むいてないと思う。のに、(らくがきではない)作品といったら絵の具でかかなきゃ、と思ってる。
線描きのドローイングなら日常的にやっているので、迷いなく堂々といける。自分なりのスタイルがかなりできてきている。
なんでヒイヒイいいながら絵の具塗ってるんだろう。うーん。

 

でもやっぱり、キラキラのアクリル画を描きたい。キャンバスに盛り盛りにしたいろんな色が見たい。

色のことはすごく苦手。わからない。怖い。でも線と形だけでは言えないことを言えるって知ってる。ひかりをものにしたい。

 

ちゃんと向き合うこと。久しぶりとか言ってないで、いつも色のことを考えよう。
世界じゅうのものに色がついていてよかった。この世が好きだから、色ごと愛せる。

 

・・・それはそれとして明日までにとにかく仕上げなきゃ。なんとかなれ。

 

フィジカルの疲れは救い

秋ごろが詰め詰め激務なのはいつものことだけれど、今年はとくに「フィジカルな疲れ」、なんのかんの言っても率直に身体がしんどい、重い、痛い、を感じた。

不思議と、そのほうがガッと思い切って休息に振り切ることができた。
状況にかかわらず頭は結構フル回転だったりするが、とにかくこの身体が動かないことには話が始まらないであろう。ならば寝よう、横になるべきである、というシンプルな解を毎日脳直で導き出し、わりと全てを放り出して布団にダイブする夜が続いた。

身体の回復を図るのは単純で良い。
(少し寝れば復活できる単純な身体で良かったとも言えるが)


これが、身体でない部分の疲れだった場合、回復方法がひとつに絞れず迷走しなければならない。

「足す」がよいのか、「減らす」がよいのかわからない。

足すなら、モノを買うとか食べるとか、外に目を向ける行為。
減らすなら、モノを捨てるとか考えを捨てるとか、自分の内を見つめ直す行為。

でも、帰宅後即2時間掃除し続けるとか、突然ひとに連絡しまくるとかの衝動行動でずいぶん回復したりもする。これはなに?足してる?減らしてる?

 

だいたい自分の1分後が予測できない。面白いけど、ふりまわされる。
「こんなん無理ゲー」っていうタスクの山の前で全部投げ捨てたくなってるのが常で、
5秒後にはふっと手をつけ始めて息を止めたまま気づいたら終わってる、みたいなことが突然起こり続けてる。疲れる。

 

身体が疲れてるほうが逆にラク。寝ることだけすればいいから。
という気づきがあった秋でした。
冬に着る服がひとつも無くて困っています。

考え事が変わらない

ブログがお飾りになっていることをどんどん気に病んでしまい、かといって私の書きたいスマートでウイットでヘヴィな文章は訓練がたりなくて書けなくて、より塞ぎこむ悪循環がだんだん体に滞留して糞詰まり、お飾りを冠したクソダサ沈黙アカウントのままいつのまにかふたつくらい歳を取った。

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はぁ~いつも1文目が長くなりがち

 

 

「出来事」を書くのがあんまり得意じゃないかもしれない。
読む側のときは、一日のことを淡々と追っかけるような日記的記事が大好物であるのに、自分に起こった出来事はひとつも言葉に変わらない。

思っていることや考えていることはわりと言語化の目途がつくが、何年間か通してそんなにめざましい変化がない。ずっと同じことを考えている。「これ前も書いたような」となって終わり。

生活や環境などは、じつはけっこう変化しているのに、「考え事のベース」がまじでずーーーっと同じである。なんなら高校生くらいから。

「ベース」はカテゴリ別にいくつかあって、やっていきたいことだったり、好きな人間たちに対する思いだったり、こうありたいみたいなことだったり、色々だけど、本当にずーーーーーっと同じ。

 

やりたいことはずっと絵で、はじめて個展を企画したときの震えるような気持ちのままで、まだいる。描いて人に見てもらうことでいちばん満たされる。
ちかごろはここのカテゴリに、本とピアノが参戦している。(ピアノ買ったのよ、その話はまた聞いてね)
部屋のなかの、絵と本と音楽にかかわること「以外」の雑多なモノらを、最近はどんどん捨てている。家からモノを排出することに喜びを感じる。そしてできたスキマに本を買って詰め込んでいる。

 

他人たちについて。ありがたいことに、(人生前半では考えられなかったくらい)たくさんの多様なひとたちと関わらせていただいている。
人間を見ることは本当に楽しい。さまざまな相手に、自分の姿を認識されていることもいまだに信じがたいくらい嬉しい。
でも、きっと誰しもそうだと思うけど、自分の中で絶対的に存在感のあるひとってやっぱりいて、それはひとりではないんだけれど、とても、とっても限られている。現在関わりが続いているかどうかは関係なくて、ずっと頭のなかにいるひと(たち)。
これからもただ考え続けるんだろうなあと思う。考えるだけ。もはや私のなかにいるだけの別のひとになってしまうかもしれない。


「こうありたい」はなかなか一言ではまとまらないけれど、座右の銘的なものをきかれたときには「つよく・やさしく・おもしろく」と答えている。毅然とつよくありたいし、やさしくないと許せない。そして、すべてを包み込むユーモアをひっさげて、ひとりでどこまでも歩きたい。

1月20日のにっき

年が明けてバタバタしていたらもうすぐそこに、年度末の足音。環境が変わることが大変に苦手なのに、年度区切りで色々変わりやすい業界に身を置いている。
仕事と生活のパズルを自分の意志で決定してここまで歩いてきているが、どうにか運良く辻褄が合っているだけで、あっと何かがつまづいたら地盤から根こそぎ破綻する危うさと常に同居している。毎日が綱渡りの奇跡である。

 

年々、というか一日ごとに体力が目減りしている感じがする。つい数ヶ月前は難なくこなしていたことがきつい。

とにかく栄養と休養に気を配ろう。魚と野菜を食べよう。



アウトプットできなくてモヤモヤすることが、いつのまにかずいぶん蓄積されていた。
だいたいいつも脳内人間関係劇場を開催しているので、ひとりで感情の起承転結を完走して、なんとか落としどころに落として感情を収束させている、できている、つもりだった。
ところが、予期せぬところで予期せぬ相手と会話するイベントが発生したりして、そうすると予期した受け答えが通用しないので、自分の口が勝手に回り出す。あれあれ、するすると言葉が形になり、混沌が輪郭を帯び、なあんだ、私はこのことをこういう風に感じていたのかと、拍子抜けするほどシンプルな着地を感じる。
ひとりで人生を成立できているつもりでいたけれど、ひとりではめちゃくちゃ混乱しまくっているのだなと分かった。

 

 

今年の目標のひとつは、いろんな国の小説を読むこと。
今週はバングラデシュの短編集を図書館で借りた。私が読める言葉に訳されているけど、いったんは全く違う言語で書かれた物語だ。なにが書かれているのか、どんなものの見方がそこにあるのか、読むことで出会えるものが、幸せだ。

 

 

YOASOBIの「アイドル」の、英語版を毎日聴いている。
英語は声に出すと楽しい。音に乗せて演れたらもっと素敵だ。
高校生まで、音楽の人間だったことをちかごろ思い出した。あんなにピアノや吹奏楽に全力だったのに、いまや楽譜を読むのもだいぶ怪しい。まだ何十年も生きなければいけないのだから、もう一回くらいやり直す時間はあるんじゃないか?

なんでも、やっていいんじゃないか?


今日こそ早く寝るって毎日言ってる。たぶんそういうの向いてない、それみろ、3時だ。

洗濯物が取り込めない

もう4日目だ。毎昼毎夜外気に晒されまくって冷え切った私の服たちがベランダにいる。



さすがに着るものがなくなってくるので、朝、震えながら必要な一枚二枚だけ回収する。この震えが世界一不毛なものだと思いながら。



洗濯機を回すことまではギリギリ出来るのだ。洗ってない服が山盛りになっていくさまは視覚的にインパクトがあるためだ。
干すことは、少ししんどい。ベランダは寒いし、靴下やらパンツやら細々したものが、干しても干しても無限にある。が、干さないと、洗濯機の中で蒸れて臭っていく想像がとまらない。時限爆弾のカッチカッチという音が聞こえる気がする。追い立てられ、他ごとが手につかず、洗濯物の奴隷となって苦行の波に身を投げる。

そうして干し終わったら、すべてから解放された気分だ。私は一大プロジェクトを成したのだ。大量の布たちが風にはためいている。柔軟剤の香りがする。生活を清潔に保っている。
圧倒的全能感をもって、窓を閉める。



ここまでしか、頑張れない。
朝干したなら夕方、夜干したなら翌日、とっくに乾き切った服たちを、ハンガーからはずして部屋に持ち込み、適宜のかたちに畳んで所定の場所へ収納するというタスクが、どうしてもできない。できるとしたら相当酔っ払って身体のコントロールを失っている時か、よっぽどすべてが上手くいって機嫌がいい時だ。たいていはそんな状態ではないので、いつまでたってもダラダラ垂れ下がっている、服が。
やれば5分で終わるのに、やるのに一週間かかる。だいたい何事もそう。



先日、自分の、食べ物にたいする感覚(知っている味と限られた食感しか受け付けない)について「これは発達障害の特性に近い」と言語化してみたらだいぶん気持ちがスッキリしたということがあった。
カテゴライズされないことほど、居心地の悪いことはない。上手くやれないモヤモヤは、名前がつくと整理された。
診断の有無は問題ではない。人間はグラデーションだ。
まともな社会人の顔をして毎日外の世界に出ている私が、洗濯物を取り込むことが全くできなくても、それは「有り得る」「有っていい」ことなのだ。


なので、いまも洗濯物は取り込めていない。明日になったら突然動けて取り込めるかもしれない。明日ではなく、10分後かもしれないし、3日後かもしれない。
ままならない衝動性と共存している。もう充分な大人なので、ままならなさを自分でなんとかしている。していくしかない。人に迷惑をかけることはなるべく避けたいので気をつけているが、ままなっていないかもしれない。


もうすぐ2024年がきて、そしたら38歳になる。だいたい45歳くらいまでは自由に気のむくままに生活しようと思っているので、もう少し色々やってみる。
自分のことを自分でやっているだけだから、たぶん大丈夫。