1月20日のにっき

年が明けてバタバタしていたらもうすぐそこに、年度末の足音。環境が変わることが大変に苦手なのに、年度区切りで色々変わりやすい業界に身を置いている。
仕事と生活のパズルを自分の意志で決定してここまで歩いてきているが、どうにか運良く辻褄が合っているだけで、あっと何かがつまづいたら地盤から根こそぎ破綻する危うさと常に同居している。毎日が綱渡りの奇跡である。

 

年々、というか一日ごとに体力が目減りしている感じがする。つい数ヶ月前は難なくこなしていたことがきつい。

とにかく栄養と休養に気を配ろう。魚と野菜を食べよう。



アウトプットできなくてモヤモヤすることが、いつのまにかずいぶん蓄積されていた。
だいたいいつも脳内人間関係劇場を開催しているので、ひとりで感情の起承転結を完走して、なんとか落としどころに落として感情を収束させている、できている、つもりだった。
ところが、予期せぬところで予期せぬ相手と会話するイベントが発生したりして、そうすると予期した受け答えが通用しないので、自分の口が勝手に回り出す。あれあれ、するすると言葉が形になり、混沌が輪郭を帯び、なあんだ、私はこのことをこういう風に感じていたのかと、拍子抜けするほどシンプルな着地を感じる。
ひとりで人生を成立できているつもりでいたけれど、ひとりではめちゃくちゃ混乱しまくっているのだなと分かった。

 

 

今年の目標のひとつは、いろんな国の小説を読むこと。
今週はバングラデシュの短編集を図書館で借りた。私が読める言葉に訳されているけど、いったんは全く違う言語で書かれた物語だ。なにが書かれているのか、どんなものの見方がそこにあるのか、読むことで出会えるものが、幸せだ。

 

 

YOASOBIの「アイドル」の、英語版を毎日聴いている。
英語は声に出すと楽しい。音に乗せて演れたらもっと素敵だ。
高校生まで、音楽の人間だったことをちかごろ思い出した。あんなにピアノや吹奏楽に全力だったのに、いまや楽譜を読むのもだいぶ怪しい。まだ何十年も生きなければいけないのだから、もう一回くらいやり直す時間はあるんじゃないか?

なんでも、やっていいんじゃないか?


今日こそ早く寝るって毎日言ってる。たぶんそういうの向いてない、それみろ、3時だ。

洗濯物が取り込めない

もう4日目だ。毎昼毎夜外気に晒されまくって冷え切った私の服たちがベランダにいる。



さすがに着るものがなくなってくるので、朝、震えながら必要な一枚二枚だけ回収する。この震えが世界一不毛なものだと思いながら。



洗濯機を回すことまではギリギリ出来るのだ。洗ってない服が山盛りになっていくさまは視覚的にインパクトがあるためだ。
干すことは、少ししんどい。ベランダは寒いし、靴下やらパンツやら細々したものが、干しても干しても無限にある。が、干さないと、洗濯機の中で蒸れて臭っていく想像がとまらない。時限爆弾のカッチカッチという音が聞こえる気がする。追い立てられ、他ごとが手につかず、洗濯物の奴隷となって苦行の波に身を投げる。

そうして干し終わったら、すべてから解放された気分だ。私は一大プロジェクトを成したのだ。大量の布たちが風にはためいている。柔軟剤の香りがする。生活を清潔に保っている。
圧倒的全能感をもって、窓を閉める。



ここまでしか、頑張れない。
朝干したなら夕方、夜干したなら翌日、とっくに乾き切った服たちを、ハンガーからはずして部屋に持ち込み、適宜のかたちに畳んで所定の場所へ収納するというタスクが、どうしてもできない。できるとしたら相当酔っ払って身体のコントロールを失っている時か、よっぽどすべてが上手くいって機嫌がいい時だ。たいていはそんな状態ではないので、いつまでたってもダラダラ垂れ下がっている、服が。
やれば5分で終わるのに、やるのに一週間かかる。だいたい何事もそう。



先日、自分の、食べ物にたいする感覚(知っている味と限られた食感しか受け付けない)について「これは発達障害の特性に近い」と言語化してみたらだいぶん気持ちがスッキリしたということがあった。
カテゴライズされないことほど、居心地の悪いことはない。上手くやれないモヤモヤは、名前がつくと整理された。
診断の有無は問題ではない。人間はグラデーションだ。
まともな社会人の顔をして毎日外の世界に出ている私が、洗濯物を取り込むことが全くできなくても、それは「有り得る」「有っていい」ことなのだ。


なので、いまも洗濯物は取り込めていない。明日になったら突然動けて取り込めるかもしれない。明日ではなく、10分後かもしれないし、3日後かもしれない。
ままならない衝動性と共存している。もう充分な大人なので、ままならなさを自分でなんとかしている。していくしかない。人に迷惑をかけることはなるべく避けたいので気をつけているが、ままなっていないかもしれない。


もうすぐ2024年がきて、そしたら38歳になる。だいたい45歳くらいまでは自由に気のむくままに生活しようと思っているので、もう少し色々やってみる。
自分のことを自分でやっているだけだから、たぶん大丈夫。

あすけんの女に怒られるやつ

食べものの写真を見るのが大好きで、いつでも食べもののことを考えている気がするのに、食生活が完全に終わっている。

今日(2023年9がつ20にちすいようび)食べたもの
11:00、おにぎり1個(セブンの野沢菜ちりめん、昨日買ってて食べなかった分)
16:00、おにぎり2個(自分で握った、鮭のふりかけ混ぜたやつ)
20:00、おにぎり1個(セブンの炙りベーコン、最近ハマってる)

みたいな感じで本当にヤバすぎるので何とかしてほしい。

せめて野菜を、と思ってスーパーでサラダを買って帰ったが、それはいま冷蔵庫にある。そしてこのまま寝ると思う。

少食アピールうざいね?いや待って??オール炭水化物よ????ただの不摂生です解散。

体重はぜんぜん減ってない。たぶん血がドロドロ。

 

この、9月から10月という時期は、各所属方面における業務という業務が束になって襲いかかってくるため基本的に人間の形を保っていない。こんなことなんでもありませんよという顔をしながら、地獄のようなタスク量をこっそりとこなす日々である。それが社会人。オトナ。すなわち、仕方ない。やっていこうの繰り返し。
仕事で接する小さい人たちには、自分のだめなところも積極的に見せている。人生のやっていきかたを伝えているつもり。色々あるけど、やっていくしかないので、本日もやっていきましょうね、と言っている。

明日はちゃんと食べられるかな。

白は永遠ではない

白い服が好きだけど、白い服を白いまま着続けられるほど丁寧な暮らしをしていない、


ため、夏の生活を経て続々と黄ばみはじめる白い服たちをひと思いにクリーンアップするべく衣類用ハイターを購入した。これだけで私にしてみれば大きな譲歩である。白い服を白くする用途を叶えるためだけにこんなクソデカいボトルの液体を家に迎え入れること、大変に許し難い。保管場所が無い。
が、ともあれ、買ったのだ。あとはやるだけ、やれば終わる、と唱えて、風呂に水を溜め、服を投げ込み、ハイターをブチ込んだ。


そしたら白い服がピンクになった。

え、しんど。

がんばって生きてるのに、こんなにも報われないの?もう全部しんどい、という気持ちになって、それでも踏ん張って起き上がり、原因を調べた私を讃えたい。


「ハイター ピンク」ぐらいの雑な検索ですぐにヒットするくらいよくあることだったらしいけれども、要は、服に付着した日焼け止めの成分が漂白剤と反応して変色するということらしかった。それを落とすためには、濃縮系液体洗剤(アタックZEROとか)を変色部にふりかけて10分つけおき→もみ洗いをせよ、とのことだった。


あの、



”””””そういうこと”””””をしたくないから風呂でハイターにブチ込んだんよ、そういう部分洗い的な(めったに出番のない)洗剤は買いたくないし、つけおきする洗面器的な容器もマジでひとっっっつも無いしこの家に絶対に持ち込みたくない。どうしよう。すみません。


生きづれえな。でも、よぶんなモノを極力排した部屋で、好きで必要な本と紙と筆記描画用具だけを無限に増やして、生活をやるのは、あんがい楽で幸福。ずっと自分軸がなくて誰かの真似ばかりして承認欲求をごまかしてきたけれど、30代も後半になってようやく心地よいありかたをつかみかけている。だからたぶん白い服を白いまま着続けることはできないということになった。良いものを手入れして長く使う系の生活は無理だということになった。好きな白い服はとことん着倒してまた同じものを買おう。おとななのでどうやっていくかを自分で決められる。嬉しいな。誰にも怒られないよ。

8月6日のにっき

外の世界にはいろいろがあって、コトやモノの坩堝でぐるぐる疲弊する。這々の体でひとりの家に帰り着いてすることといえば、最近はすぐに本をひらいている。昼間の熱気が残るエアコンつけたての部屋で、ベタベタの身体のままで。ほんとうはお腹が空いているし一刻も早くシャワーを浴びたい。でもいまこのカラカラの頭にブチ込みたいのは美しく整頓された文字の羅列である、という訳のわからない欲求に突き動かされ、なにひとつ整わない生活の真ん中でずっと文章を読んでいる。テレビはうるさいから嫌い。音楽やラジオなら許容できる場合もあるが、脳内で響く言葉が勝つ時のほうが多くてすぐに消してしまう。こんなだからいま現在おきているものごとに気がつかない。天気予報はひとに聞いて知る。しょっちゅう洗濯物を濡らしている。


夏の空気だ。むっと息が詰まるような日々の続きに、8月の6日目はある。


色と光と熱と、水と、ひとの息づかいがひしめく街の中心部。かつてなくなった場所の上に立った。煙の送り方と、音の鳴らし方を教えてもらった。思うだけじゃなくて行動で示す方法があるのだと知った。他人は、自分の知らないことを知っているものだなあと阿呆みたいに考えた。


会って、関わってすれ違ってさようならするたくさんの、大きい人や小さい人のことを思う。
全員が絶え間なく幸福であればいいのにと思う。悲しむ可能性なんて考えたくない。
私がちょっと話したからといってなんの影響もあるわけないという大前提のもと、
私がちょっと話したひとたちは絶対的に救われているべきだと願っている。


いま読んでいるのは「重力の虹」と「オウエンのために祈りを」と「すべての、白いものたちの」とあと色々。
朗読をやってみたくて、いい感じの文章があったら少し声に出してみたりしている。こういうのって歌とおなじで、発音とか緩急とかのトレーニングが要るんだろうな。新しいことを研究するのはなんだって楽しい。

絵はずっといつも描いて、気持ちの良い線を探している。


圧倒的に8月だ。目を閉じて開けたら終わってしまう気がして走り続けている。今日は走って跳んでいたら転んで肘と膝が剥けて腫れた。そして888文字になった。

にっき

37歳なので、ちゃんと日焼け止めを塗ろう。



や、歳を絡める必要はないが、日焼け止めを塗るという行為はわたしにとってかなりハードルが高く、ちょっと曇っていたり雨が降っていたりする朝は「今日はいいよね、塗らなくて」と自らの枷を外し、そして午後、カンカン照りのなかを大後悔とともに歩き通すというひとつの様式美がここにある。なんだこの文章は。

いい歳なのでいろいろなことをちゃんとしようね、と毎日言っている。



近頃といえば、労働および労働、搾取、使役、辟易(韻)などであるが、隙間でとにかく人のいるところに行こうと心がけている。
「普段何やってんだか不明すぎる変な人」がゴロゴロいる場所が好きで、自分がそこになじめるかどうかは別として、変な人の変な話を聴いてへえ〜ほお〜と思うことでささくれだった心がほぐれる実感がある。
人が苦手で、あらゆるコミュニケーションをさぼってきた自分の来歴を思うと、まさかこんなことをするようになるとはね……と、遥かな気持ちになる。
(「遥かな気持ち」というのは川上未映子氏の頻出表現による。いやそこまで頻出でもないかもしれないが。この感じをどう書いたらいいのかと悩んだときにぴったり嵌まりがちな、私ナイズしてしまった言葉である。遥か。ぼんやり遠くを思い返すようなニュアンス。)



あとは、増え続ける酒量、気絶のような長時間睡眠、空腹はあるのに食事が苦痛、体重が減少の一途、などなど。どう見ても身体がだめである。若い頃と同じ動き方をしていてはいけないのよ……


とくに、人と一緒に食べているとすぐに満腹になってしまうのが目下の悩み。
実家に帰ったり、両親と外食をしたりという機会には、あれよあれよと食べ物が目の前に置かれ、全部食べきらなければ心配させてしまうというプレッシャーから、ある一定のところでグッとお腹に圧がきて、それ以降は内臓をなだめるみたいにちみちみ食べることしかできなくなる。(別に食べきらなくても心配はしないと思う。両親も私もいいかげん歳なんだから、昔みたいにもりもり食べられない。なのにいまだに若いつもりで、あれもこれも食べようと張り切って食卓を満載にしがちなだけである。親子ともども己の加齢を自覚できていないだけの話。)
友人と食事のさいも、異常にペースが遅く、待たせてしまうことでよけいに焦り、むりやり詰め込んでその後の体調に不安をきたす始末である。

という感じでおおむね痩せ型なのに、下腹がかなり出ているので、これはこういう暮らしを続けていると突然、病に倒れる予感がヒシヒシとする。
いま倒れて自室の様子を人に見られては困る。怠慢と堕落の権化がここにある。

酒を減らそう。




今年度は、一定のペースで図書館に行ける生活スタイルができたので、知ってはいたけれど読む機会がなかった作家を次々と履修している。
皆川博子西加奈子舞城王太郎西村賢太ベケットなど。
また、タイやベトナムカンボジアなど、あまり光の当たりにくい国々の小説をまとめたシリーズを発見して、嬉々としている。当たり前だけれど、どの国にも小説はある。地理に疎い私はその国が地図上のどこにあるのかもわからないのに、翻訳というフィルターを通して、想像もつかない遠い国の人が考えた物語を、読んでいる。読むことができる。


食べるみたいに、ことばを読めるようになってきた。どろどろに疲れて帰宅したとき、まず本を開くようになった。何ページかするすると読んで気持ちが静かになったら、食事や風呂や家事にとりかかる気力が戻ってくる。
インプットと同じくらい、アウトプットも私を癒す。こんなふうにダラダラベタベタ文章を書き散らしたり、クロッキー帳にぐだぐだ線を引いたり気ままな絵を描いたりすると、頭のなかの澱のようなものが霧散して視界がひらける。



計画も下書きもなしに、ここまで約1550文字、一気呵成。
推敲をしろよ、と私の中の文学オタクが叫ぶが、とにかく更新をすること、いま現在を世界に差し出すこと、を優先とし、公開ボタンをクリックする。このブログはSNSよりも自由で、私の庭だ。

私のSNSmixiから始まったのであるが、あのプラットフォームは大変に居心地がよく、自己プロデュースがしやすかった。
プロフィールに好きな画家や作家やバンド名を連ね、エッセイか散文詩のように長い日記を書いた。入るコミュニティは厳選し、世界観を統一した。今思えばあれは「なりたい自分」をバーチャルで作り上げる行為だった。
TwitterInstagramでは生々しいリアルが漏れ出てしまい、演出のツメが甘くなってしまう。
嗚呼、mixiでもう一度みんなと出会い直したい。いまなら完璧なセルフをお出しできるのに。

学校のしんどさを知っている、だからこそ

「がっこうのせんせい」をやってる。この私が。




教科指導のみの非常勤なので、担任や校務をもつ本採用の先生方とはもちろん仕事のウエイトが全然違う。自分の授業のことだけ考えていればよいし、時間の許す限り存分に授業準備ができる。生徒指導上などで困りごとがあれば担任・管理職に引き継ぐだけである。ずいぶん気楽な身分だ(そしてこの上なく不安定だ)。


それはそうだとして、この私が、である。


私にとって学校は、たくさんの針が自分に向けられていて身動きのたびに刺してくるような、絶望とともにある場所だった。
友人はいたし、虐めにあったわけでもないし、欠席も少なくふつうに通っていたけれども、集団生活における毎日の小さなチクチクにひとつずつ傷つき、疲弊していた。
吐き気をこらえながら登校する朝、通りすがりの家の庭で花壇に水やりなどをしている人(おおむね年配の)を見るたび、はやく大人になって学校に行かなくてもよくなりたい、とすがるような気持ちになったものだ。




まあ、紆余曲折あって(最低のまとめ方・・・)、こうなっている。
人生isおもしろすぎる。


ともあれ、いまは学校で授業をするのが仕事なのでただただ仕事をしているのであるが、「学校大好き畑」の出身ではない人間としてのアプローチ、もあることよなあと思う日々につき。
いくつか、意識して実践している習慣を記しておく。大したことではない。

 

 

 

名前を呼ぶときは、苗字+さん・くん で統一

ニックネームや呼び捨ては、全員にそうするのならまだしも、そうする生徒とそうしない生徒がいてはいけない。「あの子は渾名で呼ばれているのにわたしは・・・」という感情は、信頼の破壊、終わりの始まりだ。

 

ペアやグループでの話し合いは必要最小限に

「主体的・対話的な学び」をかかげる国のこと、教師の一方的な講義はたいへん忌み嫌われる。(注:生徒からではなく、大人から)
よって、何かと子ども同士で話し合わせる。もうすっかり当たり前の光景になりつつあるが、私が子どものころにこれが流行っていなくて本当に良かった。絶対に、間違いなく、地獄の時間だ。
会話の型や予備知識もあいまいなまま顔を突き合わせても、暗闇のなかで立ち尽くす羽目になる。ひりひりした人間関係の地肌が見える。
もちろん、だから避けていいということではないし、その経験も通っていくべきだし、それが有効な場面もある。という意味での「必要最小限」だ。やるけれど、乱発はしない。
私はだいたい1単元につき1回くらい。(実技教科で個人活動がメインであるため)
うまく交流ができなかった班へのフォローになる話を全体に向けてする。

 

発表は挙手制ではなく、指名制

意見を募りたいとき、「誰かー?」と促すと、手を挙げるメンツはだいたい固定される。いつも、その何人かの意見で授業が進み、それ以外の生徒は「お客さん」になる。大変よくない。
手軽なのは、「列指名」。縦に1列を無作為に指定し、前から順にひとつずつ発表する。人によって見方が異なるような発問のときに有効だ。たった5、6人でも驚くほど多彩な意見が出る。
もうひとつは、ちょっとスレスレの方法。個人思考の段階で満遍なく机間巡視し、発表してほしい意見を見つけたら、「あなたに発表してほしい!」という意志をひっそり伝える(無言で、フセンやシールを貼るなど)。そうすると、普段あまり前に出ない性格の生徒も「仕方ないな・・・」という感じで発表してくれる。ただし、教師側の無意識な選別が働くため、想定外の意見をはじいてしまいやすく注意が必要である。
とまれ、「誰でも発表者になりうる」ということで、授業への当事者意識を持ちやすくなっていればいいなあ、と思っている。

 

忘れ物をしたら、貸し出す

大人でもふつうに忘れ物くらいするのに、なぜ学校というところはあんなに忘れ物に厳しいんだろう。忘れた回数をカウントしたり、活動に参加させなかったり、なにかと「ペナルティ」に走ろうとする。
貸せるものはできるだけ貸すようにしている。あまりにも続くようなら、貸すまえに目をみて話をし、忘れないための手立てを本人に申告させる。
失敗をしたときにどうやってリカバリーするか。社会を生き抜く力というのは、ほとんどそれにあたるのではないか?
学校でなら、いくら失敗してもいい、すべて人生の練習だから。とたびたび話す。練習は自信につながる。卒業したあとの長い人間生活を、少しでも楽に生きてほしいから。



そうだそうだ、大事なこと。私、「子ども」は別に一切まったく好きではない。どう接していいかいまだに全然わからない。
仕事なので、話す、関わる。それだけのこと。
気をつけているのは、子どもだからといって見下さないこと。対等な人間の相手として尊重すること。これだけのこと。
接し方についてはもはや「慣れ」のみで乗り切っている。人は、慣れるものである。
毎度毎度バタバタと準備をし、なんとか授業を形にし、気がついたらもう8年目になっている。
寿命削ってんなと思いながらも、結局全部楽しいから、辞めていない。自分のできることで社会の役に立てる方法が、これしか思いつかなかったから、やっている。
きっと、このままずっとやるんだろうなと思う。学校嫌いだった自分が学校でつぎの子どもたちと学校生活をやっていること、とっても不思議だけど、だからこその尊さを毎瞬間感じながら。
来週も、授業をします。